ぎりぎりフロッピー

あまりに物忘れが激しいので外付けHDの一つとします

誉めを信じない

今日、会社で上司にいろんなことを褒められて一瞬ワッハッハとなったんですが、そういや褒めてくれたこの上司、「昨日先輩にお説教されていたようだったけど大丈夫だった?」と朝イチで心配してきた人だったのでこれは昨日の続き…アフターケア的なもので特に真の褒めの意味はないんだろうな…と勝手に思って勝手に沈んでました。

あちらは元気出して欲しくて「褒め」をしてくれるんですが、素直に受け取れないことがとても辛い。あちらとしても予想していた反応があまり返ってこなくて良い気分じゃないだろうし、負の連鎖ですわね。

突然飛び出した「真の褒め」という宗教味やブラック企業味を感じるワードは今わたしが作った造語で「他者や他の思惑による影響が一切なく、体のうちから湧いてくる『すごい!』という感情を抑えきれなかった時に飛び出してしまった賞賛の言葉」なんですが、これをゲットできる機会なんて社会の中ではほぼないんだろうなと漠然と感じています。

なにか失敗した日の後に人から褒められると「あいつはメンタルがあまりにも弱いからみんな褒めたりしてあげてね」って口裏合わせて嫌々褒められてんじゃないかなあって思ってしまう。
例えそれが本当であっても他人の良いところを探したりわざわざ口に出して褒めてくれている時点でその人は面倒見がよくてはちゃめちゃに善人だと思うんですが…

書いてて思ったんですが、これは相手の背景の問題じゃなくて、ただひたすらにわたしが恥を感じたくないから喜んでいる姿を見せたくないだけなんじゃないか?
「あいつ、課長命令やお世辞で褒められているだけなのにそれを知らずにヘラヘラ喜んじゃって、恥ずかしいやつだな…」って思われるのがひたすらに嫌なだけなのかも。どちらかというとこれが大きいな。

とにかく恥をかきたくない気持ちが大きすぎる。これは小学生の時の「誰にも頼れないからランドセルに全ての教科書を入れていた」ことの延長線だ。
普通の会社員なんですが自分一人で「舐められたら終わりな気がする」というチンピラの世界で一人相撲して過ごしている。
自分が人より仕事ができないということを認識している割には、自己愛が強すぎてそれを見せたくない、恥をかきたくないという気持ちが大きすぎる。

恥をかいてもいい、別にそれで人生が終わるわけではない、ということをちゃんと自分の中に浸透させることを今年の目標の一つにしようかな。

そういう内容の日記を書こうと思ってチマチマかいていたものが3万字を超えたのであまりにキモすぎたので分割して小分けにしてあげていこうと思います。