ぎりぎりフロッピー

あまりに物忘れが激しいので外付けHDの一つとします

親になる

※ 出産の話と見せかけて、ゲロとかうんことか汚い話が多いです。

 

二月の下旬から妊娠高血圧症候群で緊急入院し、つい先日出産を終えた。一時期は血圧が190/110になり頭痛も酷かったので、血管が破裂して死んじゃうのかなあと心配しましたが、なんとか生きています。

生まれて初めての入院が一ヶ月もの長期に渡るとは思っていなかったけど、入院先の病院の設備が綺麗で、減塩食もとても美味しくて、スタッフの方々がよく世間話を振ってくれて、入院中に友達もできて、夫も仕事で忙しいなか洗濯や本の差し入れなどをしに来てくれたりしたので、あんまり苦じゃなかった。むしろ今こうして実家に帰省してからの方が寂しいくらいである。多方面に感謝でいっぱいです。

 

4月中旬に無痛分娩を予定していましたが、血圧が下がらないこと、血小板の減少スピードが上がっていることから、お医者さんと相談して一ヶ月前倒しでの計画分娩となった。出産日の前日のお昼まで元気モリモリでご飯を食べていたけど、陣痛促進剤を打ったその晩にひどい陣痛に襲われ、ベッドに横になったまま噴水のように嘔吐し、自分の吐瀉物を頭からかぶるという貴重な経験をしました。顔から髪の毛から背中までたっぷりゲロまみれになり、ご飯を全部食べたことを少し後悔した。もっと緊張してご飯も喉を通らない状況ならここまでひどいことにはならなかったかもしれない。三回くらい固形物を吐き、以降は胃に物が残ってなかったのでずっと胃液だけ吐いてた。

陣痛がひどくなってきたので、麻酔の投与をしてもらったけど、背中の一部だけ麻酔の効きが悪くて、痛みが消えずにずっと叫んだり暴れたりしていました。麻酔使わない人たちはこの倍以上の痛みを耐えてたのかと思うと凄すぎる。人生で最も痛みを感じた時間だった。経産婦の友人から「痛みの継続時間は1分くらい」と聞いていたので、白目を剥きながらずっと時間をカウントして耐えてた。そういう妖怪いそうだよね。夜道で会ったら泣くかもしれない。

出産当日は立ち会う家族に自分で電話しなくてはならないのですがあまりに辛すぎて夫が電話に出た瞬間「死ぬかも」だけ伝えてすぐ切った。通話履歴見たら4秒だった。不穏すぎる。

ゲロ汗まみれで痛すぎて立ち上がれず、陣痛室から分娩室までは車椅子で連れて行ってもらった。道中、他患者の夫らしき男性がいたので、よく見とけよ、お前の妻も同じような苦しみを味わうんだぞ、ちゃんと支えろよ、と念を送った。

しばらくしても出産が進まなかったので、助産師さんに息みかたを指導してもらいながらお医者さんから「これで出なかったらもう帝王切開するしかないからね〜」と脅されたのが怖すぎて、必死に息んだところ、空気を読んだ赤子がなんとか出てきてくれて無事に出産となりました。元気に泣いている声を聞いたら、いつの間にか号泣していた。

 

わたしはどちらかというと出産とかに対する感情が淡白な人間だと思っていたので、自分が号泣しているのが意外だった。言い方が悪いかもしれないけど、約九ヶ月も自分の臓器の一部だったものが突然、別の個体として活動を始めたことにすごくびっくりした気持ちもあった。生き物ってすごいなあ。

 

お医者さんが私の切れた股間の縫合をしながら「奥さんは長期の入院だったのに一度も泣き言言ったり脱走したりしなくて偉かったねえ〜」と褒めてくれたので「ご飯がおいしくて…」と体力尽きて半分寝ながら答えたところ、今のシェフは歴代シェフの中で一番の実力者であることやお医者さんの出身地や応援してるバスケチームの話を次から次へと話してくれて、股間の縫合ってこういうラフな感じで進むんだなあとなんだか面白かった。後日の経過観察でも治りかけの股間の傷口を鏡越しに見せられて「見てよ〜!すごい綺麗な傷跡でしょう!ここまで綺麗な傷跡なかなかないよ!僕の自信作✌️」と褒め(?)られたので、私の主治医はちょっと変わった人だったのかもしれない。

 

股間を縫われる痛みというのは全く感じなかったけど、その後にやってきた後陣痛がひどくてかなり吐きました。うんこも漏らした。付き添ってくれた夫に「やばい、うんこ漏らしたかも」と伝えたところ「自分も社会人になってからうんこ漏らしたことあるから大丈夫だよ」となにも大丈夫じゃない告白をしてくれた。きっと気を使ってくれたのだと思う。知能指数が著しく下がった頭で「お揃いだねえ」とだけ返した。うんこを漏らした告白をしても、ずっと手を握って「ありがとう」と「ごめんね」と「がんばれ」を言い続けてくれた夫を見て、結婚してよかったなあと思った。

 

出産の翌日から新生児との同室が開始。点滴やら麻酔の差し込み口やら色んなチューブを生やし、着替えたとはいえゲロ吐いてうんこ漏らしてから一回もシャワー浴びれずゴミ捨て場のような臭いを漂わせたまま新生児の世話が始まるんですね…もっと一息つけると思っていたわたしが甘かった。助産師さんからおむつ替え、ミルク作り講習があったけれどあまりにも簡単そうにテキパキこなして展示のあとすぐはいスタート!だったので、初めて変身ステッキ渡された魔法少女だって戦闘前にもう少し説明してもらえるのでは?と思った。3〜4時間おきにミルクをあげないと死ぬかもしれない生き物、あまりにも脆弱すぎて不安になる。可愛いなあとか思うこともあるけどそれ以上に殺してしまったらどうしようの気持ちが先行する。疲れ果てて3時間のアラームを寝過ごした時は冷や汗かきました。他者の命を預かる事実が重すぎる。赤子は母乳の飲みっぷりが悪かったので、不安になって助産師さんに相談した。助産師さんが情け容赦なく赤子の口に指を突っ込み「君は飲み方が下手だね~!この舌遣いを覚えるまで帰れないからね!」と笑っていた。赤子は爆泣きしていた。生後三日でブートキャンプさせられる赤子に少し同情した。

 

退院前日の夜はオプションでつけたお祝い膳が出た。高級ホテルのディナーコースかと疑うほどのゴージャスな夕飯でびっくりした。フィレステーキとかフォアグラとかでた。生ハムは昨夏にスペインに行った時以来だったので、あまりに嬉しくて5分くらいずっと噛んでた。

 

術後五日で退院。赤子は黄疸の数値が高いことから、数日は病院で預かってもらうことに。実家に顔を出して寿司を食べてから自宅に帰宅してダラダラしていたら、病院から「緑色の吐瀉物があったため、市内の総合病院に搬送します」との連絡が。大慌てで指定された病院に行ったところ、早すぎたようで1時間くらい廊下のソファで待った。詳細は到着してからと言われたのでどんな状況なのか分からず、もしかして今朝抱き上げたのが最後の接触になるのか?とか考えてずっと泣いてしまった。救急隊に搬送されてきた赤子は透明のお神輿みたいなケースに入れられててモゾモゾ動いていて、まだ生きていることに一安心した。新生児科に運び込まれて少ししてから、看護師さんから大事ないことを聞かされて、安心してまた泣いた。黄疸の治療のため、目隠しをされて青色の光線を当てられている姿は、キャプテンアメリカの超人兵士計画とかの、アメコミヒーローの肉体改造シーンみたいでかっこいいなとか思った。

 

赤子は精密検査と経過観察を経て、まもなく帰ってくる。子供が生まれたら無条件に可愛く感じるものだと思っていたけど、自分の愛情がそこまで深いのかは自信がない。最近は乳幼児の窒息事故のことを調べてひたすら不安になる毎日である。夫は面会に一人で行った日、少し泣きながら電話をよこした。産後、彼が初めて子供を抱いた日だった。親になれて嬉しいこと、わたしに対する感謝の言葉を何度も伝えてきて、愛情深い人間だと思った。わたしは正直、まだ親になった感覚がわからない。大切にしたいとは思うけど、死なせてしまったら立ち直れないだろうから、ブレーキをかけている気もする。母親になったらありとあらゆる困難を子供のために乗り越えるタフなスイッチが入るなんて嘘っぱちだなあと思った。そしてそれに少し安心している。出産を経て自分の中身がガラッと変わってしまうなんて、恐怖だ。

わたしはいつも最悪を考えて、それよりもちょっとマシな結果に安心しながら生きている。きっとそれはこれからも変わらない。他の親や夫のように、子供を深く愛せるかもわからない。でも、自分の臓器の一部だったものが、今や独立した生き物として生きていることはすごいことだ。生き物として、色んなことを経験して、色んな人と出会って、色んな価値観を知ってほしい。できるだけ苦痛なく健やかに生きて欲しい。そのために経済的な援助や、心理的な安全領域として機能できる存在であれるように努めていきたいとは思う。わたしと子供は別の個体であることを忘れずにいたい。できる限り他者として尊重したい。これが愛情なのかはわからない。

それから、今後のわたしの人生が「子供の親」だけに終始するのではなく、夫を幸せにして、自分の趣味や交遊関係も引き続き楽しめるような豊かなものにできたら最高だなと思う。それを贅沢だと思わなくてもいいくらい、バランスよくいきたい。

わからないことや不安だらけで願ってばかりだ。なんとかなるといいな。ならなかったらひとつの生命を殺してしまう。責任重大だ。すごく怖い。ただ、やるしかない。