ぎりぎりフロッピー

ぎりぎりフロッピー

あまりに物忘れが激しいので外付けHDの一つとします

FP二級試験終わったぞ

FP2級試験が終わった!一回目は7月下旬に受けたのですが実技のみの合格で、学科は35点合格ラインの中で34点…1点差で落ちたわけですが1ヶ月半後に受けた試験でも39点だったので4点しか伸びておらず、完全に集中力が切れて飽きていました。思い返せば子供が生まれた直後の2024年夏くらいからFP3級の勉強をはじめて、合格後の2025年はITパスポートを一瞬やったもののつまらなさすぎてまたFP2級の勉強に戻ってくるという感じだったのでおよそ3年近くやっていればそりゃ飽きるよな〜最初のうちは点と点がつながって線になる感覚とか、社会保障制度を理解して保険料などの出費や補償を必要とする範囲を知ったり、生活にダイレクトにつながってくることが多かったのでモチベーションがかなり高かったんだけど、もう今はサンクコストにとらわれていただけだったと思う。3級と比べて知識量が飛躍的に増えたか?と言われるとそこまででもなく、解像度が上がった程度だと思う。それはわたしの学びが浅いからと言われたらおっしゃる通りですが…まあ3級よりは箔がついたかなと…

かけたお金は2級、3級の参考書で1万円くらい、ほんださんのweb講座で1万円くらい、試験と追試験で3万円くらい、トータル5万円くらいかな?これだけ知識を得られたのでまあ割はいいと思う。保険料の見直ししてかなり浮いたし、今後も保険屋さんに不安を煽られてやたらと保険に入ってしまう可能性や老後の資金不安も減ったし、経済新聞読んで多少は意味がわかるようになった。

勉強はドライブで子供を昼寝させた車中で1時間、夜に1時間で1日合計2時間くらいか。復職後にこれだけするのは難しいだろうから、今のうちに終わらせることはできて良かった。

とりあえずしばらくは積読を消化していきたい。国際政治史と安全保障学入門があまりにヘビーすぎて進む手が遅いです。でも復職したら重たい本読んで自分なりに考える余裕ないだろうから今のうちに。

大型自動車免許をとるために教習所に通ってるのですが、こちらは復職までに終わらせるのは無理そう!全然枠が空いておらずきついです。期限が来年の2月までなのでちょっと焦り気味。これすぐ復職になったら土日の予約枠だけで終わるか…!?まあ焦っても仕方がないので粛々とやるしかないんだけど。

パラノマサイトの続編をクリアしました。前作と比べてだいぶ爽やかになったね。ベタな青春物語だけどそのベタさがいい。今はゴーストトリック始めました。子供の頃に友達の家でちょっとだけやらせてもらったな。いまSwitchでやっているとグラフィックがすごく可愛い。これDS当時の技術がすごいな。FE新作もやりたいけどそもそもSwitch2持っていなくて悲しくなるので、その気分を晴らぞ。終わったら次はTOVやるんだ。P4リメイクのSwitch 2での発売も決まったので遅かれ早かれ購入したいけど、今はとにかくお金がないですね!復職したら時間がなくなるんだけども。

この記事書いてたの1週間前くらいですが夜の自由時間をダラダラとYouTube見てしまうことが増えたのでやっぱり目標がないとダメだわ。9月の目標、23時就寝・生成AIパスポートの勉強始める・本をあと2冊読み終える。生成AIはインターネット上だとかなり反対意見が多いけど、実生活の周りの人は使ってる人の方が多い体感。著作権だけじゃなくて色んな問題もあるんだろうけど、そもそもどういったもので、どういった規制があって、どういった問題があるのかきちんと把握できてないから、基礎的なところから学んで自分で判断したいなと思った。FP勉強して感じたのは、基礎的な知識がないと不安を大きめに見積もってしまい、余計な出費が増えるということ。生成AIパスポートが終わったら次はG検定、ITパスポートと繋げていきたい。

 

以下は最近の愚痴。

別に特段大きなトラブルがあったわけでもなくただ「子供が何度注意しても同じいたずらをする」とか「夫から『それくらい子育てしててもできるでしょ』と言われる」とかそういう細々としたストレスが毎日積み重なってしばらく日記(物理)を書けてない。昔読んだ漫画で「女にも7人の敵というが社会そのものが敵となることが多いので些細な幸せや喜びも抱きしめて生きていかなきゃやって行けない」みたいなセリフがありそれを実行したいと思っているが、マイナスをゼロに戻す作業(家事)を延々としてるとじわじわと自尊心が削られていく気がしてまずい。自分を取り戻せ!今一番自尊心?自己効力感?が得られるのって勉強している時か、本を一冊読み終えた時だな。ただ疲れ切っているとそのどちらもできずにYouTubeで効率人間の漫談(ガジェマガのトーマス)を見ることしかできない。自己効力感が下がる〜。トーマスの語りは本当に面白いです。効率人間の異常効率化生活動画を見る非効率な時間。ゆる言語学ラジオと積読チャンネルは短期間に見すぎたので少し離れている。

母とも夫とも「それ事前に相談して合意もらったはずだよね」というトラブルが多くて、詰めると逆ギレされてしまう。でもわたしも「なんでこんなふうになったの?(溜息)」みたいな嫌な上司みたいな対応してるから、原因はさておき「ここからどうすればリカバリーできるか、双方の負担を最小限にして目的を達成するにはどうすればいいか」という話を先にすべきだし、その話をするために嫌上司対応は下策…とわかっててもなんか…モヤモヤが先立ってしまう…だって昨日話したことじゃん…自分の感情の発散を優先しているという点では合意反故逆ギレ人間と同レベルなんですけど…

正直、はいはいと流したほうがいいんだろうけど、それで相手に「別に怒ってないみたいだし、今後も同じミスしてもいいか」と誤学習されたら困る…とは言えこれってもう一度や二度の話じゃないので怒ったところで何も解決しないんだよな。ということで実家はしばらく頼りにせず暗に「もうあてにしないよ」というのを伝え、夫とは話し合ったことをラインに送付して証拠を残すことにしている。復職する前にこういうトラブルを減らすやり方、考え方を試していきたい。

 

追記

夫や母が怒る理由を「防衛反応」と仮定してみる。つまりわたしの言動は彼らの価値観や尊厳に対する「攻撃行動」として見られている可能性がある。とくにそこまで考えていない、わたしの単純なデリカシーのなさによる発言なんだけども、人格否定として受け取っているのかもしれない。これは相手の過剰反応とも言えるし、わたしの配慮のなさ、無神経さによるものとも言える。客観視する能力が低いから本当のところはわからないけど、もう少し「敵対の意思はない、あなたの尊厳を尊重する」という態度をわかりやすく見せた方がいいのかも。相手を変えるのは無理なので。

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最近好きなお寿司屋さん。黒電話が現役で素敵すぎる。

百江なぎさに武士の情けを見た

FP二級試験が無事終わり、解放感のまままどマギ新作を観てきた~!ウオー最高!という気持ちを忘れないうちにまとまりなく感想!

ぜんぶネタバレだから気をつけて!

 

 

 

終わり方については賛否両論あるだろうし、わたしには正直わからなかったが、映像と世界観とキャラクターの魅力だけでも十分楽しめた。なぎさちゃんの飄々とした感じも、さやかちゃんの真面目さも、どちらもかっこよかった。とくに原作アニメでは悲劇の象徴だった人魚の魔女に対し「やったれー!」「かっこいい!」という気持ちを抱けるようになったのはわたしにとって救いだった。本当にかっこいいな、魔女の存在も含めてさやかちゃんがかっこいい。学生の頃に好きだったアニメの新作を社会人になったいまこうして観られるのが嬉しい。

 

「あなたのために」というある種、自分が中心にない回答が前作だとすると、「私はどうしたかったのか」と自分の本当の気持ちと向き合うのが本作のほむらで人間的に成長したな…成長できたのはみんなと一緒に過ごした時間があってこそだと思うので、ほむらの世界には意味がちゃんとあった。

「救いたかった」よりも「あなたのようになりたかった」が根底にあるのを知り、いくら強くなったように見えても、一番はじめの眼鏡だったか弱いほむらちゃんがそこにいたことに気付いて抱き締めたくなった。

上級生の顔について触れたキュゥべえの「君はもっと自分に興味を持った方がいい」という台詞がきいてくる。出汁が出てます!

 

ワルプルギスの夜、あれはあのまま最強で理由のない存在として完結しているのかと思っていたから、その存在理由について語られたとき、魔女の生まれた理由を知ったとき、もう…泣いちゃった!まどマギをリアルタイムで見ていたときに気付いた自分の性癖のひとつに「だれかがだれかのために自分の持ちうる全てでベストを尽くした結果、最悪の結末になる」というものがあるのですが、これが本当に当てはまり、最高(最悪)だった。個としての自我を失った魔法少女たちのなれの果てが、まどかの救いを得て個を取り戻す過程を見ると、あの不気味だった笑い声も切なく感じる。

彼女の行為は「もう全て溶けてしまった名もなき犠牲たちをなかったことにしないよう、個別に識別できるように新たな名前をつける」で魔女を生む結果になり、魔女になる前に魔法少女を救うというまどかの行動と対照的だったけど、根本にあったのは「魔法少女を救いたい」という似た願いだったのが切ないよ。それで発生するのが名塚底根というのも、見る前はおどろおどろしくて何!?と思っていたけど、見終わったあとだとこれ以上ないっていうネーミングに感じる。名前を、泥のように沈殿した犠牲たちの墓(塚)に名付ける、全ての根底。まどマギの大好きなところのひとつに「視聴者にどう捉えるか任せる情報の洪水」があるんだけど、今回もずっとそれで楽しかった。いろんな知識がある人が見たら、もっと楽しめるんだろうな~

 

一番刺さったのはセルマとなぎさの関係性。

「役に立つこと」は手段であって、目的は「だれかに必要としてほしい、見てほしい、愛してほしい」だから、アプローチ方法は他にもいくらでもあったはずなのに、それを知らなかったであろうセルマが悲しい。言葉の端々から「生前の自分は役立たずで価値がないものだと憐れみ、蔑まれてきた」というものを感じた。だから彼女がはじめて必要とされた(と感じた)キュゥべえに妄信的になるのも理解できる。はじめて必要としてくれた、一番スケールの大きな「理由」だもの、それが正解だと思うにきまってる。

序盤から中盤にかけて、享楽的な価値観を共有した似たもの同士のなぎさとセルマ、に見せかけて、セルマは計算してうえでの付き合いで内心はなぎさのことを蔑んでおり、なぎさはそれも見透かしたうえで好ましかった、と思っているんだけど、どうだろうか。

「役立たずのまま笑っていてほしかった」という台詞は「役に立たなくても、意味がないわけではない。あのとき、内心がどうあれ、私とあなたは確かに楽しさを共有し、笑顔になったのは事実だったはず。私にはそれだけで価値がある。それだけで良かったんだよ」という意味だと受け止めた。

セルマは欲しいもの、他者からの存在承認をすでに得ていたが、キュゥべえ(宇宙の法則)に選ばれたという自意識を捨てられなかったがゆえに気付けなかった。それがとても悲しい。

なぎさがセルマのソウルジェムを砕いたのは、円環の理を拒絶するセルマにとってベストな終わらせかただったと思う。自分がどう思われたかは関係なくなぎさはセルマを好ましく感じ、対峙(退治)する価値のある敵だと承認したからああした。

そう思うと、相手を辱しめず、信念を尊重した武士の情けのように感じられて、なぎさがあまりにかっこよくて惚れてしまった。

 

もう一度見たいなあ…

 

王位継承者になって世俗の悩みから解放されたい

最近夫とよく口論になる。大体、夫の物言いにわたしが必要以上にキレる、という流れが定番になっている。今日は下記の通り。

クーラーをつけた部屋で子供が昼寝している時は厚手の毛布の方がいい、と言う持論の夫に対して、厚手の毛布を掛けるといつも蹴り飛ばしちゃうから薄手のタオルケットにしていると言う回答をしたら、夫に「自分が見てる時は一度も蹴飛ばしたことない。蹴ってるのって本当なのか?」と問われたのでムカついた。そして「わたしは平日5日、あなたは土日2日の観測回数だと思うんだけど、2日ぶんの観測データで5日分の観測データを疑うのっておかしくないですか?そういうところでわたしへの信頼の無さと自分への過信を感じてうんざりする。どんだけ自分のこと過信してるの?こういう話をするたびに『そんなに怒ることないじゃん』などと言うけど、石を投げつけた相手が怒った時に、ぶつけられた相手の短気に問題をすり替えるのって卑怯極まりないよ。自分の無礼さをもう少し考えたら?」と一息でキレる感じ。いつもだいたいこの流れがテンプレートになっています。このキレに対して夫は「こっちだっていつもそちらの常識の無さに腹立ててるのに黙ってあげてるんだよ」とキレ返し、翌日渋々和解、となる。でも結局お互いに納得はしてないからこの小競り合いが続いてるんだろうな。


文章にして読み返すと本当にしょうもないことで喧嘩をしており、どちらかがもう少し冷静で寛容であれば流されるようなことなのに、どちらも過剰反応して、遠吠えし合う犬みたいになっている。でもこの無礼さに対して「わたしが見てる時はそうなんだよー」で返して放置すると、夫の確証バイアスが強化されて、自分の認識と違うものは、なんでもわたしを疑ってみる、を平然としそうでムカつくんだよな。わたしは別に、怒っていたいと言うよりも、わたしの日々の蓄積の知識を軽視された気がして傷つくんだよな。だから確認すべきなのは「わたしを疑っているのか/現状の事実確認をしたいだけなのか」と言うポイントであって「無礼」「卑怯」とかは過剰な罵倒だった。ちゃんと「わたしの方が観測データが圧倒的に多いのに事実を疑われると、わたし自身への信頼がないようで傷つくよ」と伝えたうえで、その回答を待ってから戦いの火蓋を切るのでも遅くはないはず。結論がこうなってしまうのでやっぱり闘って勝ちてえ…の気持ちがあるかも。家族は闘って勝つ対象ではなく、共同体の仲間なのですが…


友達に対しては割と頻繁に「わたしはいい加減な人間だし、気持ちもコロコロ変わるから、わたしを必要以上に信じないでね。高田純次くらいの信頼をしてね」と言っていて、それがわたしなりの誠意の示し方だと思っているのに、夫から少しでも疑われると「わたしが信じられないって言うのか!」とキレるのが自分でも不思議だ。友達に対しては好きで勝手にやってるけど、夫に対してわたしが投資している部分(家事や育児)が大きいと思っているから、それが明確なリターン(信頼や感謝)として返ってこないのが不満なんだろうか?最近はそれが頻発しているから、もっと恥も外聞も無く「もっと感謝を言葉で示して欲しい」とお願いすべきかも。それが足りない気がするな。祖父の「頭なんて何回下げても減らないので、いくらでもペコペコすべき」と言うエピソードが好きだったはずのなのに…いつの間にか夫に対して対抗意識が…?ここまで書いていると、どことなく夫を敵と認識しているのがわかってきた。おい!共同体の仲間だって!あと、もしかしたら夫の方も「感謝されてないな〜」と思ってモヤモヤしているからこそ最近諍いが多いのかも。お互いに貢献を認めてもらいたがっている同士という認識でいた方がいいのかも。真の王たる余が一歩先に大人になって夫の労を労ってやる必要があるかもしれないな。


久々の記事がこんなしょうもない内容で嫌だ〜!本当は上半期の振り返りと下半期の目標を書くつもりだったのに、イライラしていたからこんなことに…次回以降はちゃんと意味のある内容にしたい。

 

追記

投稿したあとに読み返していたらわたしだって自分のデータに固執して夫のデータを軽視してるのであって、数が違うから無下にして良いわけではなかったな、と反省した。ツイッターにいた頃の「私が絶対的に正義」というスタンスの発言に、やだねーと感じていたので「自分が正しい、本当に?」という視点を持てたのだと思う。ありがとう、ツイッター(故)

 

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添付の画像はタカラトミーの抽選に当たってようやく届いたピカチュウ!思っていたよりかなり大きかった。

近況というほどでもない

前回のブログ書いてから2ヶ月経っていた。書きたいこと覚えておきたいこと全部書き残したくなって完璧を求めてしまう気持ちがあり、まとまって時間を取れたら…と先延ばしにしてきた。もういい加減取りこぼしが多すぎるので諦めがついた。復職や保育園に向けた動きが活発になったり、FP2級の試験が近づいてきたりしてそこそこ忙しくなったりしたけど、忙しさだけのせいではなく、人生の中心軸が子供に寄ってきて、自分自身から離れている気がする。日記も週に1度まとめて一行程度書くくらいだ。今後ますます重力は強まり、子供によっていくのは避けられないだろう。子供が初めての社会(保育園)に出て、その比重はきっと強まっていく。だからこそ、現時点から子供軸に寄りすぎないように(もちろん離れすぎるのも違うけど)自分の軸の位置を把握して、重力に少し逆らいつつ生活していきたい。そのまま全部が子供軸になってしまうと、何かあったときに子供のせいにしてしまったり、立ち直れなくなったりしそうだから。これ定期的に言っている気がするな〜自分の記事読み返すの恥ずかしいからしないけど、サビの部分なんだろう。

そんで、じゃあ自分の軸ってなんだ?と思うとやはり「物語」なんだろうな。小説でも映画でもゲームでも漫画でも、物語に触れるのが好きだ。続きはどうなるんだろう?とドキドキしながら暮らすのが好き。最近初めてデルフィニア戦記を買いました。こういうファンタジー小説ってなかなか読まないので新鮮。主人公二人が心身ともに屈強で、魂に傷を抱えながらも相手にケアを求めたり傷を舐め合ったりするでもなく自立して伴走し、相手を個人として尊重しあっている関係がいい。かつてアントマンを見ていたときに自覚したんだけど、メンタルが安定していて、依存ではなく並走できる相棒で、自分の選択に責任を持てる主人公が好きだ。新装版が今年から毎月発売されているんだけど「明日書店に続きを買いに行くのが楽しみだ」という気持ちを得たくて1冊ずつ買っている。勉強とかの合間にゆっくり読み進めているのでまだ発売スピードに追いついていない。楽しみなものがあるって嬉しいな。

 

あと、今更だけど「ぼくはイエローでホワイトでときどきブルー」も読んだ。「頭が悪いってことと、無知ってことは違うから。知る時がくれば、その人は無知ではなくなる」「多様性はうんざりするほど大変だし、面倒臭いけど、無知を減らすからいいことなんだと思う」とか、新鮮な考え方だった。例えば、休んでいるうちに新しいシステムが導入されていて、そのシステムに対応できていない人がいる。その人は頭が悪いのではなく、マニュアルを知らないだけ。マニュアルを読み込んでシステムを使えるようになればいい。わからないなら誰かに聞けばいい。逆の立場だったら、教えてあげればいい。その過程を踏む前に相手の能力が劣っていると怒ったり、馬鹿にしたりするのはおかしい。そういうことだとわたしは受け止めた。この考え方を内面化できたら、もっと話しやすい人間になれると思う。頑張りたい。もっとも、相手が素直に受け入れてくれるか、技術として理解することができるのか、自分はわかりやすく教える技術ができるのか、そもそも自分が介入することにより相手の積極的な学習機会を奪うのではないか、とか色々あるけど、走りながら微調整していこうと思います。年々、インターネットが対立構造を補強してきてきつい。あえて積極的な対立を望む交戦的な人、小さな個人で戦う限界を感じて主語を肥大化して共通の敵を設定した方が効率的だと考えて意図的にそうしている人、認知コストの削減のために善悪二元論というエコシステムを導入した疲弊しきった人、その区別をつけることができない。だから安易にラベリングしないタフさを持ちたい。「あほなのか?」とか簡単に結論付けず、相手が何に困っていて何を恐れているのか考えたい。対話の回線はいつもオープンでありたい。そのために自分の支えとなるものは人間やものに限らず、趣味や場所など様々なところに持っておきたいな。

 

アニメだとEテレでやっているブルーイというオーストラリアの教育アニメが好き。擬人化された犬の家族の話なんだけど、ホームコメディとしても楽しい上、嬉しい時、不安な時の尻尾の表現がたまりません。犬すぎる。感謝。お父さんのバンディットが子供たちの提示する無茶苦茶なごっこ遊びにも全力で取り組んで一緒に楽しんでいるのが好きだなあ。わたしもこういう全力大人を目指したい。そしてここまで子供を含む他者への寄り添いや思いやりを持ったり、おおらかに生きることはわたしには不可能だということも併せて覚えておきたい。(絶対に辿り着けないことをわかっておかないとストレスになるから。)家族の住んでいる家も素敵で、寝室のベランダから紫色の花木が見えて、そのはながひらひら散っている描写がたまに背景に写っていて、それがたまらなく美しい。キャラクター造形も可愛くてトイザらスでフィギュアを見るたびに買っちゃいたくなる。所有欲と物欲の混線が深刻。先日、クレーンゲームのプライズのブルーイがラス1で残っていたので衝動的にやってしまった。やってしまったものは仕方がない。しばらくはゲーセンに近づかないようにしよう。

 

全然関係ないけど夫と少子高齢化の話をして、最近読んだ「21世紀家族へ」の本の受け売りをすぐに演説してしまった。まだ内容を自分の中で咀嚼しきれてないのにすぐ知ったかぶりをしてしまう。夫はやや保守寄り、わたしはややリベラル寄りで中道を目指している人間。夫は教育が、わたしは制度が足りないと感じている。夫の言う教育とは「現代は個人主義が進み、家族・地域コミュニティが解体されてしまった。共助が足りない。今一度、近代的家族観の復活や倫理の教育が必要」と言われたのでわたしは「近代的家族観は戦後短期間の時限的なもので、女が家庭に縛られるからこそ成立したものであり、共働き前提の現代社会では合わない。育児、介護ケア責任を女が背負う近代思想から脱却できないまま、社会的には『現代的に』共働きを求められるという歪みが女にのし掛かり、子供を持つと言う選択肢の負担とリスクだけが跳ね上がっている。これを制度で解決する必要がある」と返した。すると「自分のことしか考えてないように聞こえる(個人主義者め)」と言われて、な、なんだとこの保守野郎!!!!と腹が立った。なのでGeminiに私たちの口論におけるそれぞれのバイアスを指摘するように伝えたら、「あなたは進歩史観的で、人間が合理的、経済的理由で動くと評価しすぎだし、数値化できない文化や価値観を軽視している。あなたの夫は共同体主義者で教育や精神性の変革を万能視しすぎだし、実態の伴わない倫理の押し付けで、今ここにある破滅への危機感が欠如している。保守VSリベラル、または構造論VS制度論という古典的なイデオロギーの衝突であり、二人とも相手のイデオロギーに反発するあまり、相手の思想のもっとも極端でネガティブな側面だけを抽出しあってラベルを貼り合っているため、議論が並行線を辿り、感情的な怒りに発展している。共通の大きな善意(アプローチは違えど、次世代を良くしたいという問題意識)は同じという確認をした上で議論すべき」みたいなことを言われて気持ちよかった。フィードバックをもらうことに快感を感じる。これは「わたしは自分の至らない点を認められる優れた人間です」という架空の敵に対する優越感のアピールかもしれないけど、根本的にマゾヒストなのでただ悦んでいるだけかもしれない。

 

あーまとまらないまとまらない!でもこういうふうにだらだら文章書くの好きだ!

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添付の写真はこどもが気に入っているコダック。どこにいっても一緒に楽しんでいて、自分を支えてくれるものが二歳にして存在することが嬉しい。

 

更地の固定資産税きつすぎる

再建築不可物件の話。相続したら大変だな…という話だったけど、空き家法の話を知ってさらに焦りが出てきた。更地にすると固定資産税が上がるからって国民たち空き家放置しすぎて倒壊の危険性とか治安悪化とかのマジなデメリットが生じているので行政から「これはちゃんと管理できてない空家だよ」と指定されたら更地にしてなくても固定資産税の軽減措置が効かなくなって税額が約6倍に跳ね上がるって仕組みらしい。現実的な数字が見えると嫌すぎ!わたしの代では継ぎ足し継ぎ足しのリフォームでやりくりできても子供の代になったら流石に立て直さないと無理だろうけど再建築不可物件だからできない。そんな危険なボロ屋は誰も買わないので手放すこともできず固定資産税だけ払う負の遺産になる。そして行政から今後居住する見込みのない空家として指定されたら固定資産税が6倍に上がる。

今から本気で動かないと可愛い孫に、現在の固定資産税の6倍を一生支払わせるという業を背負わせることになりますよ。これ明日親のケツを叩く時のワードにします。

 

市役所に持っていくもの、相談すること

・法務局でゲットした権利関係の書類たち

 必要なものは他にあるかの確認。

・道路位置指定の基準と照らし合わせた結果

 5つのうち3つはクリアしている…と思う。自分で測った内容とか、計測の仕方がわからないところとかを報告して、どういう内容であれば市役所が納得するのか確認。共同で私道を所有している全住民の同意が必要というのは理解しているけど、そもそもどのくらいの工事が必要なのかわからないと同意のしようがないと思う。市役所として絶対満たしてほしい基準の確認。現状を見ないとわからないと言われたので周辺道路全て写真撮ったので印字したものを見せながら相談。

・当該私道は公衆用道路として固定資産税が非課税になっており、実際交通量は多い。この公共性の高い道路に面して再建築不可物件が3軒もあると、災害発生時などで緊急車両が通行できず被害の拡大につながる。なおこの3軒はいずれも60代〜80代の高齢者とその子供一人が住んでおり、5年から10年以内に管理不全空家になる可能性が高い。建築基準法43条2項2号許可では買い手が付きづらく、問題が先送りになるだけだと考えている。

 

市役所でまた塩対応されるのかと思うと怖いし緊張するよ〜しかしやるしかないので粛々と進めます。以下明日のカンペ。

 

「⚪︎⚪︎町の私道の道路位置指定の件で継続して動いています。自分で現地の計測や権利関係を整理したところ、いくつかクリアできそうな点が見えてきました。住民の同意形成を進める前に、市が求める絶対条件の確認をしたいのですが、担当の方をお願いできますか?」

​「調べていくうちに、これは私の家だけの問題じゃないと確信しました。この私道に面した3軒すべてが『再建築不可』で、かつ住民は80代が中心です。​遠くない将来、相続や老人ホームへの入居で家を手放す時が来ますが、建て替えもリフォームもできない今のままでは、確実に管理不全の空き家がこの一画に乱立します。​そうなれば、建物が倒れてくる危険はもちろん、住民で守ってきたアスファルトの修繕や側溝の掃除も放置され、地域全体のインフラが悪化してしまいます。​さらに深刻なのが交通安全です。この私道は、周りに狭い道や急坂が多いせいで、実質的な『地域の抜け道』になっています。もしここが空き家問題で閉鎖されたら、車はどこへ行くかというと、多くの子供たちが使う『児童館前の見通しの悪い坂道』に流れ込み、事故のリスクが跳ね上がります。​この『空き家のドミノ倒し』と『子供たちの事故』を未然に防げるのは、まだ私が動ける『今』しかないと思います」

「この市全体としても高齢の方が多く、同じような問題を抱えた人は多いと思います。今でしたらわたしが積極的に動けるので、この機会に解決できれば、地域の空き家対策のモデルケースになれるのではないでしょうか」

 

考えていたら昨日が今日になっていた。いやだ~いってきます。

 

実家が再建築不可物件だった②

実家が再建築不可物件だった!!!先日から実家の前の私道を道路にしようとあれこれしている。市役所で説明を受け、法務局で資料を集めた。ここまでは先週、父に説明したはずだったのに今日話したら「それで次は何すればいいのかな?」とか「やっぱりさ、市役所が全て悪いよね」と言われて、な、なに〜っ!!先週話した内容は!?と暴れそうになってしまった。そもそもこの問題は20年以上前から両親が把握しており、ずっと蓋をしてきた問題だったので、ここに来てまるで当事者とは思えない発言。く、クソッタレ…自分が動きたくない(近隣住民と難しい話し合いをしたくない)からと言って延々と制度が悪い、まともに対応してくれない市役所が悪いと言い続けている父を見てると悲しくなってくる。制度の改正や市役所に対して裁判を起こして是正する気骨があればそれはそれで応援したんだけどな。動く気のない人間がその原因を他者に押し付けているのは見るに耐えない。文句を言いまくりたかったけど、ここで正論パンチでボコボコにしたところで両親のやる気を削ぐだけなのでやめた。「目的が達成できればそれで良し」と悪の幹部みたいなことをずっと考えて耐えていた。別にわたしは両親のための奉仕じゃなくて、自分が相続した時に困らないよう先んじて動いているだけなので…どこまでも自分のことしか考えてない。とりあえず口頭で説明しただけでは不十分なようなので、下記のようなメモを作成し、不明点や改善点があれば来週までにまとめておいてほしいと伝えた。頑張ったのでここに残します。さて、どうなるかな〜

 

【現状の確認】

相続にむけて現状を把握しようと思い、⚫︎⚫︎市役所に確認しました。実家前の私道(地番⚫︎⚫︎番⚫︎⚫︎)は、現在の建築基準法上では「道路」ではなく「通路」であることが判明しました。

法律上、住宅は「道路」に面していなくてはならないので、現状のままでは自宅を建て替えることができません。また、売り払う場合の金額も相場の半額程度になることが見越されます。この問題の解決のため、取れる選択肢が二つあります。

 

​A 市道にする(市への寄付)

​【制度の説明】

現在、私たちが共有している「通路(私道)」の所有権を⚫︎⚫︎市に無償で譲渡し、市が管理する「公道」として認めてもらう手続きです。市が「公衆の利便性が高い」と判断し、かつ市が定める厳しい構造基準(道幅、舗装、排水設備など)を満たしている場合にのみ受理されます。

​【メリット】

​管理コストがゼロ: 将来の舗装の打ち替え、側溝の清掃、除雪などの維持管理費はすべて市が負担します。

絶対的な安心感: 公道に接している土地は資産価値として最も安定し、売却や融資の際に非常に有利になります。

​固定資産税の非課税: 道路部分の土地に対する税金がかからなくなります。←注意!参考として載せましたが、今回のケースはこれに該当しません。私達の「通路」は公衆用道路(不特定多数が通行する私道)のため、現在は非課税です。

​【デメリット】

​初期費用の発生: 市が引き取る条件として、測量、分筆登記、さらには「市が求める基準への道路改修工事」を所有者負担で行うよう求められるケースが多いです。

​所有権の喪失: 自分の土地ではなくなるため、道の上に物を置いたり、勝手に掘削したりすることは一切できなくなります。

​ハードルの高さ: 基準(幅員4m〜6m以上など)に1箇所でも満たない場所があると、受理されない可能性が高いです。

 

​B  道路位置指定を受ける

​【制度の説明】

土地の所有権は私たちの「共有」のまま維持しつつ、特定行政庁(⚫︎⚫︎県や⚫︎⚫︎市)から「建築基準法上の道路」として認定を受ける手続きです。これにより、現在は「通路」扱いで本来は家が建てられない(再建築不可)状態にある土地が、「家を建てられる土地」へと法的に格上げされます。

​【メリット】

​再建築が可能になる: 最大のメリットです。将来、家を建て替えたり、子供に譲ったり、第三者に売却したりすることが法的に可能になります。

​所有権を維持できる: 土地の所有権は自分たちのものなので、法規制の範囲内であれば、自分たちの意思で管理方針を決められます。

​寄付よりは柔軟: 市道への寄付に比べると、構造上の審査基準が(自治体によりますが)比較的通りやすい傾向にあります。

​【デメリット】

​維持管理は自己責任: 舗装が剥がれたり側溝が詰まったりした場合、修理費用は引き続き共有者5人で出し合う必要があります。

​セットバックの必要性: 幅員が4mに満たない場合は、中心線から2m下がる(敷地を道路として提供する)工事が必要になります。

​手続き費用: 指定を受けるための図面作成や申請を建築士や土地家屋調査士に依頼する費用が発生します。

 

【今後の流れ】

①市役所から受け取った資料を読み込み、条件を確認した上で市役所に寄付、道路指定のための道路の最低条件を再度確認。

②共有持分を持っていないが、道路にしないと再建築できない2世帯に費用分担を提案。

③共有部分の所有者4人に対して「費用はこちらで持つので、手続きに協力(捺印)してほしい」と依頼。

 

【懸念事項】

1 土地の共有者からの反対が予想されること

​共有者5名に「土地の一部を譲ってもらう(すみきり等)」と交渉する際、彼らが最も警戒するのは「自分の土地の面積が減る(資産が減る)」ことと、「登記の手間」です。 「土地を譲る」という表現ではなく、「(市道にする場合)市に寄付して公道化する」または「(位置指定の場合)道路状の空地として提供してもらうだけで、名義は変えない」など、最終的な着地点を明確に伝える必要があります。

​もし「市道」にするなら、5人の共有名義から「市」へ名義を変えるための「寄付証書」への署名捺印が全員分必要になります。

 

2 道路位置指定の場合の責任の所在

もし市道にするための寄付が認められず、道路位置指定になった場合、その道路は引き続き「5人の共有地」のままです。

その場合、費用を出して整備した3世帯としては「自分たちが金を払った道だ」という意識になりますが、法的な持ち主は依然として5人のままです。​将来の補修費用などをどうするか、今のうちに「受益者負担(利用する3世帯で持つ)」という覚書を交わしておかないと、数十年後にまた同じ揉め事が起きます。

 

 

 

 

 

 

実家が再建築不可物件だった

現状確認のため、市役所に行った。土地とかの金額の目安を知るために固定資産評価証明書をもらったり、目の前の私道の幅員とかを確認しに行ったりした。そこで判明する衝撃の事実…実家前の道路は「建築基準法上の道路ではないので再建築ができない」!!!!!!!つまり築30年強のボロ屋である実家は、今後更地にして新しい家を建てたりすることができないのであった(完)

完結したいけどここで終わるわけにもいかず…つい先日読んだ「私の実家が売れません!」では実家が再建築不可物件になり大変苦労されていた。あの時は語り口の軽妙さにワハハと笑いながら読んでいたけどいざ自分の身に降り掛かると本当に笑えませんね。いや困った。

家の目の前の道路は周辺の住民と共同で所有している私道らしいんだけど、実家や道路ができた後に建築基準法が改正され、基準法上道路以外になったらしい。区分上、道路ではなく単なる通路であり、人間が住むことを前提としていない道路、それが実家の前の道…人間が住むことを前提としていない道路の直近に住んでたと思うとウケるな。

親曰く、以前にも市役所と話し合ったこともあるらしい。父の言によると「市役所が放置していた」らしいが、窓口の方が持ってきてくれた市役所の議事録のようなものには「住民同士で今後話し合う予定らしいけど全員の納得を得るのは厳しいかも〜」みたいに書かれていたので、おそらく父が周辺住民との話し合いを億劫がって放置したっぽい。く、クソッタレ〜!!

市役所の人が課を跨いで知恵を寄せてくれた結果、今後の選択肢は2つ。

①市に寄付して、公道にする

→市も私道を寄付されると整備する義務が生じるのであまり乗り気ではないっぽい。ハードルがめちゃ高くて、受け取ってもらうには、測量士を入れたり、道路を整備したりする必要がある。

②位置指定道路にする

→特定の基準を満たしていることを条件に市から「道路」として指定を受ける。幅員とか隅切りとか、これもまた測量士に依頼したり、基準を満たしてなかったら工事することになる。

①②どちらも所有者の総意と費用がかかるのは確定。め、面倒臭すぎる…

とりあえず明日にも法務局へ行き、公図、謄本、地積測量図、建築図面(各階平面図)、あとあれば閉鎖謄本も発行して、共同で私道を所有している住民を特定したり、正確な地図を見たりするぞ〜どこかにまとめておかないと忘れちゃいそうだったのでメモがわりに残します。もう本当に面倒臭いよーーーーーーーーーーでも今のうちに把握できてよかった。もし親が耄碌してから、仕事に育児にいっぱいいっぱいの時に判明したら気が狂っていたかもしれないからな。

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でかい建物を見ると無条件で嬉しくなる。わたしもいつかこのくらいでかくなりたいです。