ぎりぎりフロッピー

ぎりぎりフロッピー

あまりに物忘れが激しいので外付けHDの一つとします

6月の育児日記

ツイッターでの育児関係の呟き。6月分。

 

3日

①生まれて初めて聞く緊急地震速報に大興奮の赤子、寝かけていたけど全てがリセットされ、激しく踊りながら何かを訴えてくるけど赤子言語を理解できないので何て言ってるのかはわからない

おかあさんといっしょを見ていますが面白いな 赤子と一緒に見る日がきてもウキウキで見てしまい家事どころではなくなる

③赤子が神妙な面持ちで何かを訴えてきたので心配してそっと持ち上げたら、「ぬ!」という掛け声とともに右の鼻から鼻くそを飛び出させたり引っ込めたりするのでティッシュで取ろうとしたら、「く!」と言いながら反対の鼻の穴からも鼻くそを飛び出させてきた 鼻の穴でワニワニパニックさせるな

④はじめての予防接種で爆泣きしたけど抱き上げて診察室出たとたんに泣き止んで「うわぁ!いきなり落ち着くな!」になった 電源落としたみたいに止まるな

 

4日

目を背けていた事実、赤子がデカすぎる お医者さんに「う~んデカイね!」と言われて認めざるを得なくなった 「かなり吐くので大丈夫でしょうか」と聞いたら「ここまでデカくなって元気があれば心配しなくていいです」と即答 食意地がはって飲み過ぎてるだけと判明 キャパオーバーしてまで飲むな

 

5日

哺乳瓶を吸う速度がマイペースすぎる赤子を寝かさないために「良い飲みっぷりだ」「ここまでデカくなったそのわけを見せてくれ」「ナイスミルク」と誉めながら飲ませているのだけれど、昨日からFP講座動画流しながら授乳してるから、左から誉め、右から金融制度で、強い人間になってくれないか

今日は赤子とのタイマンおさんぽバトル初挑戦だった 今日のところは30分で勘弁してやるぞ わたしの腰がしんでしまうからな…

 

6日

「お金を使うこと」「新しいガジェットを試すこと」のどちらもメチャ好きなので「これは赤子のためだから…必要だから…」と言って新しい機材買うの正直楽しすぎ 人間たち、赤子守るため知恵絞りまくりで素敵ですね この楽しすぎ!とお金ない…給料もない…の焦りは両立します

 

8日

「おむつ替えの必要性」「前回のミルクの時間から三時間以上が経過してるか(高気温や体調不良の場合は個別に判断)」「特定の部位を痛がっているか」「泣き声はいつもより大きいか」「寝場所は快適か」を全部クリアしても泣き止まないときは、5分タイマーして様子を見ると大体泣き止んでる たすかる

5分じゃなくてもいい タイマーで時間の区切りをつけるといい 赤子が泣いてるとどうしても心配によるストレスがだんだんたまっていき、どうすればいいか悩んでしまうから、やれることはやったぞ、あとは現時点での自分にはどうしようもないからずっと向き合う必要はないぞと思うことがいい

 

9日

車で移動中に脱糞した赤子、「ハウ…」と困った顔で文句を言うけど、車が走り出すと真剣に窓の景色を見る業務に戻り、信号で停車するとまた「ハウ…」と訴えてくるの面白すぎる 気持ちの切り替えができてて偉い わたしは三十路になってもなかなかできない

 

10日

友人に「職場復帰しても時短勤務で給料も大したことないしそのお金で子供の成長見る一年が買えると思えば安いのでは?」と言われてだいぶ心揺れたけど、お金の問題というよりも歳が上がれば保育園の枠がどんどん狭くなることのほうが重くて…

 

11日

赤子、よくエビぞりジャンプしてるから、どこまで行けるのかな~と思って大人用の布団の端っこに置いて観察してたら、泣きながらエビして逆の端っこにまで到達してて笑った ガッツありすぎでは?

 

13日

夫が赤子を抱き抱えて「俺は百キロのベンチプレスを持ち上げられるのに、この子はデ…重すぎる…」と言ってて笑う 泣き言言うな 世の母親はみんな平然と持っているんだぞ

 

15日

寝落ちした赤子を抱えていると顔をくしゃくしゃにして「ヒン…!」と泣きそうになったり、「ク~!」とご機嫌ににやけたりしたあと、ハッと起きて「なんだ…夢か…」と確認してすぐ寝るの、犬と同じでかなり良い

 

16日

赤子、夜間は五時間くらい余裕で寝てくれるようになって偉い 大人は意味もなく夜更かしするのに赤子ときたら意味もなく早寝早起き、寝のスパンをおおよそ守っており、黄昏泣きこそあるものの夜間のぐずりがほぼない 偉すぎる そんな偉くならなくていい あとが怖い

 

18日

今日の日記 おしゃぶり

 

19日

今日は近所のこども館みたいなところに行って同じくらいの月齢キッズたちと会ったけどやっぱりデッッッカ圧倒的にデカい どうしてこんなに大きくなっちゃったんですか?食い意地がはりすぎていたから…それに応えてわたしもミルクをあげすぎたから… まあ大は小を兼ねるからいいんじゃないでしょうか

 

20日

赤子、自分の拳をなめまくりたいけど、腕の操作になれてないから自分の顔を殴ったりピーンと突き上げたままになったりして、自分の操作の下手さにキレて泣いてて笑わせてくる 腕の操作に早く慣れるといいね

 

21日

朝から爆泣き赤子をあやしながら虎と翼のお母さん回で号泣してたら、いつの間にか泣き止んだ赤子がじっとこちらを見ていた 気遣いのできるやつだ 誉めてやろう 別にいまからそんなにいいやつでなくていいよほどほどで 今後が怖いので

昨晩も昨晩とて、事前に話し合って決めたことをコロコロ気軽にひっくり返して神砂嵐を起こした夫にわたしがぶちギレて多少言い過ぎてBIG喧嘩になったときも気配遮断して熟睡していたし、まじで赤子の頃から空気読みすぎ人でストレス抱えてないか心配になります ほどほどにな

 

24日

機嫌がいいと短い歌を歌うようになった 手を振ながらクフフ~クフフ~言ってる 六道骸リスペクトのファンサか?

ようやく物が掴めるようになったためか、なんでもかんでも掴んで見せつけてくるようになった 最近は自分のタオルケットを持ち上げて見せびらかしたり、口につっこんで唾液まみれにしたり、自分の顔に落としてキレたりしています 理不尽

赤子と対峙していると、表情や身振り手振り、反応を見て、意味を勝手に見出だして、快適な状態かジャッジして、そうでない場合は整えてやりたいという気持ちになること、言語に依存しない原始的なコミュニケーションという感じだ 自分の感情の揺れ動きも含めて面白い

 

26日

寝ているときに「ヒィーン!ヒンヒン!」と顔をしわくちゃにして一瞬泣いてすぐ真顔になるのなんなんだろう 面白くて毎度爆笑してしまう あと寝ながら咀嚼するように口を動かしてるのをみると、わたしのこどもだな…と感じる 面白生き物すぎる

 

27日

縦抱きして至近距離で顔見合わせていたときに赤子の「アアン?」に「アーですな」と答えたら、目玉落っこちそうなくらい見開いて「こいつ…話せるのか…!?」って驚いていた 実はね、話せます

 

29日

最近、寝かしつけも慣れてうまくなってきたな~と思って油断してると、自分も一緒に寝落ちしていたりする

 

千葉近郊ベビーカー外出(真夏)

夏の炎天下でも外出した〜い!しかし5ヶ月の乳幼児を連れて外出となると、屋根のない屋外は厳しい。行く先を探して検索するも、わたしの検索技術の問題かもしれないが、アウトレットだったり、自力歩行を前提とした2歳くらいからが対象だろうな〜という場所しかヒットしない。

ということで、授乳室、エレベーターのある場所で自分が行きたい場所に行ってみた結果をまとめておく。関東近郊、特に千葉周辺で、ベビーカーの乳幼児と一緒に出かける先を探している人の参考になれば幸いです。現在までに行った場所は下記の4箇所。

 

・葛西臨海水族館

・大洗水族館

茨城県自然博物館

国立歴史民俗博物館

 

【葛西臨海水族館】

大きなクロマグロが高速で泳ぎまくっている水槽が有名な水族館。出入口にある大きなガラスドームと噴水が好き。わたしが子供の頃からあるのでかなり年季は入っているけど展示は時々リニューアルされていて楽しい。子供は、どの程度見えてるのかわからないけど、生まれて初めての巨大水槽に目を丸くしていた。水槽というよりも、水と通してゆらめく光をみていたのかもしれない。

館内にはスロープもエレベーターも設置されている。ただ、そこそこ混雑する日(土日祝)はベビーカーで移動するには通路は暗く少し狭いが、大変と言うほどではない。空調もきちんと効いている。

授乳室はママロというボックスタイプの個室。畳一畳分の広さの中にソファが設置されている。お湯や水はないので自分で水筒を持ってくる必要がある。ボックス内に空調はなく、天井に開いた穴から外気を取り入れるだけなので、若干暑い。

周辺は海に面した大きな公園になっている。通路も整備されているので真夏でなければ散歩に向いている。小さな遊園地やめちゃでか観覧車もある。有料駐車場あり。駅から徒歩10分程度。アクセスはよし。

 

【大洗水族館】

サメで有名な水族館。サメは生体も標本も骨もとにかくたくさんいる。シャークダディ(架空の人物)の蒐集室というていで展示されている世界中のサメの標本が楽しい。全体的に展示方法にテーマ性を感じて、凝っていて好き。

スロープもエレベーターも設置されている。ただエレベーターはバックヤードにあるものではないので、一般のお客さんの利用も多く、ベビーカーはたまに乗れないこともある。別に待つと言っても5分もないけど。通路は狭くはないけどそこまでお客さんでぎゅうぎゅうということがないので困らない。一つ一つの水槽がそこそこ大きいので、間近によらなくても見れるのが嬉しい。

授乳室はママロ。お湯はお食事コーナーに置いてあるポットを使っていいらしい。ただ場所が少し離れているので自分で水筒を持って行ったほうが楽。無料駐車場が隣接されている。

水族館から車で10分程度のところに、わたしが大好きなめんたいパークがある。これでもかというほどに明太子が乗った丼やおにぎりが食べられるのでおすすめです。

 

茨城県自然博物館

マンモスや首の長い恐竜のとてつもなく大きい骨格化石(レプリカ)や自然のジオラマ、剥製などが多数展示されている。標本だけじゃなくて結構リアルに動く恐竜のロボットなんかもある。メタセコイアを館内に設置しているくらい天井が高くて開放感がある。宇宙コーナーなど、多少古めかしい展示もあるけど、とにかく展示物の量が多いのできっと好きなものが見つかる。ちゃんと見て回ったら半日はかかりそうなくらい広い。スロープもエレベーターも完備されている。通路も広く移動は困らない。

授乳室は専用のそこそこ広い部屋がある。ソファが何台か置かれており、絵本もある。流し台もあり、手洗いやミルクの温度を冷やすのに使える。ポットなどはないため水筒は持っていく。

東京ドーム3.5倍の広大な野外施設がある。夏場でなければいいかも。ベビーカーでは回っていないのでよくわからない。無料駐車場あり。

 

国立歴史民俗博物館

民俗学や考古学の資料のほかに、時代ごとにテーマ分けされた生活や文化の展示がある博物館。わたしはここの民俗学の展示室が大好き!色んな地方の神様や妖怪、お祭りやお祝いなどの儀式について展示されています。かなり迫力のある「オニンギョウサマ」が渋くて大きくて怖くてかっこいい。時代ごとの展示室の方も、マネキンだけじゃなくて居住区が等身大サイズで再現されてたりしてる。昭和展示室にある「団地の暮らし」の展示が、わたしの住んでいる古い社宅に激似でいつもいくたびに笑ってしまいます。わたしは昭和に生きている。

授乳室も用意されているそうで、頼めば使えるみたいですが使わなかったので中はよくわからない。上下の移動はバックヤードにあるエレベーターを使う。使う時は係員さんの案内が必要だけど、国立の施設なだけあってどの展示室にも必ず係員さんがいるし、こちらから声掛けせずとも、エレベーターが必要な場所になると必ず彼方から声掛けしてもらえた。気遣いがすごくありがたかったです。

上記3つの施設に比べ、対象年齢が高いからかすごく静かで赤子が泣いたら…とヒヤヒヤすることもあったが、ソファが設置された休憩用のホールとか、広々とした外階段の広場とかにつながるドアとかががちょくちょくあるので、そこまで心配することもないと思う。無料駐車場あり。

 

 

いくつかの施設で授乳室を使ってみて思ったのが、ママロは綺麗だし完全に個室だから完母の人にはとても向いてると思うが、完ミの人間としては茨城県自然博物館のように流し台がある部屋だととても助かるなあと思った。でもおそらく休憩室か何かを潰してもらって授乳室に割り当ててもらったのだと思うので、贅沢は言うまい。

博物館、水族館系はエレベーターやスロープが大体は完備されていてベビーカーで動いて困ることはあまりなかった。小さな水槽にお客さんが集合していて、ベビーカーでは入って行けず見れない、などもたまに発生するが、そもそも普段から人混みに突入してまで見るガッツはないので気にならない。

乳幼児を連れてあちこちいくことについては色々意見があるが、わたしは車で1時間以内でそこまで賑やかではなくぎゅうぎゅうの人混みを通るわけでもないのなら行っていいんじゃないかと思っている。定期的に同じところに行って、家族写真を撮りたいな。朝顔の観察日記みたいな気持ちで。

 

またどこか行ったときは記録をつけたいと思います。

哺乳瓶除菌あれこれ

哺乳瓶の除菌については電子レンジ加熱、高温スチーム、薬液消毒などがあり、どれにしようか最初は迷った。結論として、現在はピジョンのスチーム除菌乾燥器「ポチット」を使用している。乾燥までしてくれるので便利。卒乳したらストローマグの除菌とかにも使えそう。ポチットに落ち着くまでに、他の除菌グッズをいくつか試したので備忘録として残す。

 

【電子レンジ加熱除菌】

友人からのお下がりでコンビの除菌じょーずを持っていたが結局使わなかった。理由は「電子レンジから出すときにかなりアツアツなので気をつけるように」と言うアドバイスを受けてかなりビビっていたこと。それから、電子レンジまでの運ぶ途中や電子レンジ内で水がこぼれるらしいので、いちいち拭いたりするの面倒だな…と思ったのが決定打となり、結局使わずじまいになってしまった。

メリットとしてはレンジで数分間チンしてすぐ使えるのでどの消毒方法よりも早いこと、ケースがコンパクトで場所を取らないところ。あと機材の購入費も安く、薬剤を買わなくて済むこともあり、一番安上がりで済む。何かとお金がかかるから安く済むのはいいことだ。掃除が苦じゃない普通の人ならこれでいいんじゃないかと思う。ズボラ人間には苦だった。あと消毒し終わった後に水蒸気の名残の水滴が残っているのが少し嫌だった。

 

【薬液消毒】

薬液を一度作っておくと24時間は使えるし、小さい穴に水を注いだり電子レンジを拭いたりする手間がない分、楽だなと感じた。消毒には1時間のつけ置き時間が必要だけど、哺乳瓶を4本くらい準備しておけば哺乳瓶が使いたいときに除菌できてない!ということもなかった。薬液から取り出した後の哺乳瓶をそのまま使っていいのか心配だったけど、哺乳瓶消毒用の薬液はミルクと反応して塩に変化するから別に気にしなくていいらしい。電子レンジ加熱除菌のやつは普通の水滴だけど、こっちは消毒液がついてるから、水滴が残ったまま保管しておくのと比べると気分的な抵抗が少なかった。

ミルトンのでかくて青いバケツみたいなやつと、レックの3WAY消毒ケースの二種類試した。ミルトンの青いバケツは数本まとめてドバドバ入れられるし、産婦人科でも同じものを使用していたので慣れていて安心感があった。ただデカすぎる(場所を取るし、水深がかなりあるので哺乳瓶の出し入れにトングを使用する)のと、除菌が終わった後に乾燥させるためのケースを用意するのが面倒だった。他の食器と同じところに立てかけておくのは、せっかく除菌したのにそこでまた何かしらの菌が付くのでは?と言う不安があった。結局、除菌し終わったものは使っていない除菌じょーずに保管していたが、途中でそれも面倒になったので、除菌乾燥器に移行した。

帰省するたびに除菌乾燥器を持っていくのはかなり大変なので、実家では現在、レックの3WAY消毒ケースを使っている。今後の旅行などを想定して購入したもので、大きさは除菌じょーずと同じくらい。薬液消毒、電子レンジ消毒、保管の3つの用途で使える。消毒用のバケツの中に、一回り小さなカゴが入っており、このカゴを持ち上げることでトングとかを使わずそのまま水切りできて楽。蓋を下敷きにしてカゴを置けばそのまま乾燥できるので、最初からこれを買えばよかった。薬液消毒を選ぶならミルトンのでかいやつよりもレックの方がいいと思う。旅行に行く時なんかも、哺乳瓶をこのケースに入れて運べばいいし。あとはメモリ付きの小さい容器に薬剤を入れて持っていけば事足りる。

 

【除菌乾燥機】

哺乳瓶のスチーム除菌と乾燥を専門に行う機械。コンセントに繋いで使用する。わたしが現在メインで使っているのはこれ。薬液を作ったり電子レンジから取り出すときにアツアツだったり保管場所を考えたりする手間が一切ないので超楽。受け皿に水を注いで6本くらい入るケースに哺乳瓶を並べてスイッチを押すだけ。除菌から乾燥までの所要時間は大体1時間弱。除菌が終わったら哺乳瓶はそのまま入れておいて、使うときにはその中から取り出して使う。機械の受け皿に水を入れる必要はあるけど、入れやすいので溢れる心配はほぼなく、手入れもたまにカルキを拭き取ったりする程度なので圧倒的に楽だ。ただ、作動し始めるときにそれなりに大きなピーという電子音が出るので、音に敏感な子どもがいると起きてしまうかも。あと、1時間近くスチームでの加熱と乾燥が行われているのでそれなりに発熱がある。ただ、音が出るのも作動した時の一度だけで、動いている間は別にうるさくないし、熱も別にエアコンをつけていれば気にならない程度だし、わたしは気にならなかった。他の除菌グッズと比べて、機械の金額が1万円強と、初期投資は高いけど、薬液消毒は薬液を継続して買うことを考えるとそこまで変わらないのでは?と思う。大きさも結構あり、大体のイメージとしては横幅が5合炊きの炊飯器、縦幅はサランラップを縦置きしたよりも少し大きいくらい。あと、小物を消毒するには木みたいなスタンドに引っ掛けて除菌するので、引っ掛けるところのないプラスチックのおもちゃとかは除菌できないかも。

 

結論

除菌乾燥機(ポチット)がおすすめの人

・炊飯器が置けるくらいのスペースが確保できる

・子どもが音に敏感ではない

・ある程度部屋が広い(音と熱から距離を置ける)

・哺乳瓶の中に水滴を残したくない

・何もかもが面倒くさい

 

薬液消毒(レックの3WAY消毒ケース)がおすすめの人

・子どもが音に敏感なため、できるだけ電子音を立てたくない

・大きめの(発熱する)機械を設置する場所がない

・シンプルなやり方がすき

・プラスチックの玩具やおしゃぶりなどもまとめて消毒したい

・実家への帰省など、外泊することが多い



雑コミュニケーション

※ほんのちょっとですがプロジェクトヘイルメアリーのネタバレがある!

 

週一くらいで近況をまとめておきたいなあと思いつつ半月くらい空いてしまった。一番嬉しかったことはFP3級試験にたぶん合格したことです。たぶんというのはまだ合格通知が到着していないからで、試験後に会場で渡される点数表上は合格点に到達していたので大丈夫かなという感じです。「以上」にその数は含まれるはずだから大丈夫だよねたぶん。本当は2月に受けるはずだった試験でなぜこんなギリギリの点数かというと、出産を挟んで暫く勉強をサボったこと、時間が空いたことでやる気を持続できなかったことなどが挙げられます。次に資格試験に挑むときはある程度、途中途中での目標点数などを決めておき、弱点となる分野を明確にして、危機感を持って続けようね〜。次は幼児安全法の講習を受ける予定でしたが、平日2日連続の日程で厳しいので、市が主催するミニ講習を受けることにしました。資格試験で確実に受けるのは来年1月のFP2級ですが、並行して他の勉強も進めたい。FPの勉強から逃げたくなったとき「FPの勉強よりまだマシだから」という理由で勉強できそうな気がする。月一くらいで試験を開催している乙四でも勉強しようかな。育休中に大型免許も取る予定ですが、免許取れても運転する機会がないと操作感覚を忘れそうで怖いので、復職が決まってから取ろうと思う。とりあえず復職までに3つは資格をとりたいな。

 

復職と言えば、とりあえず来春の保育園の希望は出すことにしました。市内の保育園をあちこち見てみて、特に安心できそうな数件だけを希望する予定です。3年フルで育休取りたいのが本音ですが、街の開発でどんどん住民が増えている厳しい状況でもしも運よく希望通り入園できたらそれはそれでありがたい話だし…入れなかったらそのときはその時で、無給期間がかなり厳しいけど、3年までとり、そこから保育園だけじゃなくて幼稚園、こども園も視野に入れて検討する予定です。3歳からは転園する人もいるらしいし、なんとかなれ〜っ

 

この頃ご近所さんと交流が生まれて嬉しい。しかしコミュニケーションに失敗して相手から少し引かれている気がする。ここ最近、家族や友達など自分に対して一定の好感度が保証されている人以外、しかも趣味も職業も違って共通の話題を一から探さなくてはいけない人との交流が久々すぎてうまく会話を続けられない。そもそも会話を弾ませることはもともと下手で、親しい人は会話が弾まなくても別に気にしないから問題にならなかったので、自分のコミュニケーション能力の低さを思い出しただけだな〜。人の話を聞くのが大好きなので、距離感を弁えず深掘りしすぎた気がする。遠い土地を生きてきた人の、わたしとは違う景色の見え方が好きなので、故郷の話を根掘り葉掘り聞きすぎてしまった。「瀬戸内海の島が浮かぶ海を見て育ったから、水平線に何も遮るものがない太平洋が怖い」と言う話を聞けてとても楽しかった。たぶんあちらがメインで話したかったのは子供の話とか、今後の生活の話だったのだと思う。子供が同学年になるし、その人に対して好意を抱いているので(優しくされるとすぐ他人を好きになっちゃう)、今後も仲良くしたいな〜と思うが、相手はどうかな。コミュニケーションって難しいね。

 

コミュニケーションといえば、最近こどもが「もしかして我々って意思疎通できるんですか?」みたいな反応を見せてきて楽しいです。実はね、同じ分類の生き物なんですよ。最初は目線が合うようになってきて、今は赤ちゃん特有の、歌うような音でこちらに何か伝えようとしてきます。わたしが似た音を発して応答すると、とても嬉しそうにする、ように見える。本当はどう感じているか確認できないのでわたしが勝手にそう思っているだけですが、後で正解を教えてもらえるわけでもないので、このままそういうで楽しんでいこうと思います。お互い敵意がないことは示せた後に、意思疎通の方法を模索する異種族間の交流みたいでワクワクします。相手を知ること、自分を伝えること、その原初的な楽しみを日々感じています。これがいつの間にか共通の言語を発するようになるって、すごいなあ。コミュニケーションに対して苦手意識はあるけど、楽しくもあるんだよなあ。

 

ちょうど「プロジェクトヘイルメアリー」を読んでいて、異文化とのコミュニケーションの模索する描写があって、主人公があれやこれや楽しみながら奮闘する描写を見て、うんうん、わかるよ〜と言う気持ちになりました。赤子と異星人は似ている。

人間が普段、共通の言語を使用してコミュニケーションをとっている(つもりになれる)のって、当たり前になっているけど実はすごいことなんだな〜。わたしを含めて、人間ってきっと、自分が思っていることの半分も言語として形にできていないけど、その雑さを許し合えるおおらかさがあればこそ、楽しくやっていける気がします。

と言う雑なまとめでおしまい。試験に受かったと言う嬉しポイントもあり、8月上旬はなんかいい感じでした。以上。

 

先週の日記

今週あったことなど、待ち合わせまでの残り時間30分で書く。

このところ夏を感じられて楽しい。帰り道で浴衣の子供達を見たり、お風呂に入っていたら遠くからお祭りの太鼓の音が聞こえたりして、実際に行っていないのに祭りの気配だけ感じる。こういうふうに世界に匂わせられている(誰に?)感じは、実際に参加してなくてもとても好きだ。散歩をすると大きな入道雲が見えてそれだけでもう嬉しくなる。

帰省した際に、暑さで日中帯は散歩に行けなくなってしまった犬を車に乗せて近くの公園まで行った。地元の公園は、地面が土だし木陰だらけで人工の小川もあるので夏の犬散歩にとても向いている。若い頃は川の中を走り回って蹴飛ばした水の粒を噛みまくっていた犬だけど、今はじっと水の中に立って涼んでいる。御年14歳。犬だって瞑想くらいする。

 

帰省では犬の散歩の片手間に、家族史を作っている。両親の昔話を聞くのは思いのほか楽しかった。結婚が決まった父を気遣って女性と写っている写真を全て廃棄した祖母の話、東京の物価がわからず食費を毎回半月で使い切っていた田舎の箱入り娘の母の話、俺の娘が行方不明だと騒いで村総出で捜索させて発見されてからその娘とは飼っていた猫だと判明した祖父の話、借金の取り立て屋をしていた頃ヤクザに逆ギレされて日本刀を持って追いかけられた父の話。どれもなかなかパンチが効いている。聞くにあたり、現代から遡って聞こうと思って、それぞれの年代に起こった大きなニュースなどの年表を参考資料として作っていったけど、二人が結婚をした頃から順を追って話を聞いた方が二人とも話しやすそうだった。今度はアルバムを見ながら話したいが、祖母の魔の手を逃れて生き残っている写真がどれほどあるのかわからない。今こうして家族史を作ろうと思ったのは、両親がボケた時に話すネタとしての意味合いもある。思い出しにくい現代のことよりも若い頃の話をした方が思い出しやすくて楽しいだろう。現に、昔話をする両親は結構楽しそうでいい。家族として楽しい時間が増えるのはいいことだと思う。両親が年老いて介護が必要になった時に、家族の楽しい思い出として振り返るものが一つでも多く残ればいい。何よりもこれはわたしのためだ。いま「それなりに親孝行したな」という実感がないと、その不足分を相手が死ぬ前になんとか取り返そうとして、必要以上に世話を焼きそうな気がする。それって健全じゃないし、双方共に疲れそう。なので今のうちに「まあ元気なうちから親孝行してたし」と言える実績を作っておいて、自分を納得させたい。文章にすると結構冷たい子供だなあ。

 

高校の時の友人2人が遊びにきた。一人は熱心にネットワークビジネスの勧誘をしていた。わたしともう一人の友人は3時間近くただひたすら聞き役に徹した。感想を聞かれたので「そんなに情熱を持って語れることがあるってすごいよ」と伝えた。ビジネス抜きでなら今後も関係性を継続したいくらいには好きな友達なので、ふんわりとした感想しか言えない。何かに熱狂している時のオタクは他人から何か言われても無駄だということは同じオタクだからわかっている。

 

苦しい友人関係があれば、嬉しい出会いもある。同じ年の子供を持つお隣さんからお茶に誘われ、遊びに行った。数えるくらいしか会ったことがないが、ご夫婦でたまにわたしの話をしていたらしい。しかもあだ名で呼ばれていたそうだ。他人から親しみを持たれることは嬉しい。わたしの会社でのやらかしエピソードは同期全体に広がっており「よっ!伝説の女」と呼ばれたくらいなので、どこからかその話が入り、やばいやつとしてネタになっていたのかもしれないが、まあ真実がわからないことは都合の良い方にだけ考えることにします。わたしは出不精の根暗なので、人間関係はインターネットの知人か学生時代の友人に限られているため、こうして新しい出会いがあると大切に関係性を育てたいなあ。同じ会社の人間なのでネットワークビジネスの勧誘はないだろうとたかを括っているが、どうか。まだわからない。

 

しゅと犬くんの指パペットマスコットを買った。2、3年前に存在を知ってからずっとグッズが欲しかったから、買えてよかった。この手のシンプルな造形のキャラクターが好きだ。千葉県のチーバ君も好きだし、ヘーベルハウスのラムくんも好き。最近だとNHKのチッチも好きだ。声がどこかで聞いたことがあると思ったらガッツ石松だった。ふわふわで可愛いうさぎのキャラクターの声にガッツ石松氏を起用するNHKの尖ったセンスが好きだ。

 

夫と三日に一度くらいの頻度で小さな喧嘩をする。お互いコミュニケーションは不得意な方なので「不満があるときは先に態度に出して相手に汲んでもらうのではなく、ちゃんと言葉にして相手に伝えよう」と言い合っているが、なかなか実践は難しい。あとどんなに長くてたかだか50年くらいの付き合いなので、なるべく楽しい時間を多くしたい。不機嫌な時間はなるべく短縮し、伝えたいこと、改善してほしいこと、反省していることを伝えたらサッと気持ちの切り替えができるようになりたい。

ところで、最近わたしが1日のやることリストに小さなイラストを添えていたら、夫がそれを真似して犬を書いてくれた。普段から絵を書かない人間が一生懸命に描いてくれた絵って、小手先の技術で誤魔化そうとせず、絵の対象のどこを印象的に捉えているのかが伝わってきて大好きだ。躍動感あふれる犬の絵を褒め称えたら、それ以降、わたしがメモを書いていると「何か描いてあげようか」とよってくるようになった。褒めて伸びまくり、調子にも乗るタイプである。夫が描いてくれた犬は、ラミネート加工して家計簿に挟んでいる。

 

最近は葬送のフリーレン、ゆうきまさみ版の漫画パトレイバーデッドプール&ウルヴァリンを読んだり、観たりしました。どれもよかったので、今度時間ができたら感想文を書きたい。

 

八月の頭にFP3級の試験があるので本当はこんなことしてる場合ではないが、現実逃避のために書いています。二種類ある試験のうち、実技試験がもう全くできていない。大変です。もうだらけすぎました。落ちたらその時はその時で考えます。

 

 

他人の人生に勝手な感想を抱くな

最近考えたことのメモ。

 

自己の躓きや失敗を全て他者や社会のせいにして生きていく生き方に対して、自分自身の選択に伴う責任や苦しみから逃れられるという点で羨ましいなと言う気持ちになる。

とか考えていたけど、もっと深掘りしてみると、自分自身、能力の多くが平均値に足らず苦労したことが多いので「何もしてないのにそんな辛い目に遭うわけがない。他者や社会のせいにばかりしている君だって自分の能力が足りないからきっと苦労しているのに、自分のことは棚に上げて他責ばかりしてるんじゃない?もっとわたしみたいに自分の能力の無さに向き合いなよ」とダメなタイプの公正世界仮説に取り憑かれているのが本心だと思う。最近、こういう人間性を疑われそうな自分の考えを積極的に文章化していこうと取り組んでいる。ダメな考え方だと薄々気付きながら内心に留めておくと徐々にその思想が固定化、正当化されていくのでよくないと思う。「客観的にみてこれはまずい考え方なんだろうな」と理解できるうちに外に出して「他人から『あなたのその考え方ってまずいよ』と思われるだろうな」と感じることまでをセットとしての取り組みなのであえてブログに残す。わたしは羞恥心が強いのでこう言うのが効く。

 

最初に述べたような生き方をしている人はもちろん、自分と違う考え方(自分が受け入れられない思想)の人間がいたとして、その人がどういう人生を歩んだからその考え方になったのかはわかるわけがないし「理解してあげるから説明しなさい」と言うのも間違いだ。そもそも「わたしが同情できるような人生であれば、あなたの生き方を許してあげるから、説明しなさいよ」と言うのは烏滸がましいにも程がある。何様のつもりなんだ。

 

数年前にキャプテンマーベルが上映された時は「あなたに証明する必要はない」というセリフにとても感動した。その頃のわたしは本当に失敗ばかりで「わたしが有用であることを証明する」ことに必死だったし、そうしなければ社会にいてはいけないと思っていた。(でも別にそんなことしなくてもいていいはず)

けどいざ自分がある程度安心できる、何かに脅かされる状況ではなくなると、逆に「わたしに証明して見せろ」と言う側になっているので、本当に喉元過ぎれば熱さを忘れるものだなあ。

 

ただ、自分のことをわかってほしい、何かを変えたい場合は、自分のことをある程度冷静に説明することは必要かなとも思う。例えばわたしは「覚えるのが本当に苦手なのでなんでもかんでもメモを取ることを許してください(弊社はマニュアルが口伝されがちでほとんど文章化されていない)」「方向性が間違ったまま突き進んでしまいがちなので、定期的に合っているかどうか確認したいのでどのタイミングなら声かけていいか教えてください」とか自分の特性について周りの人に説明すべきだったな。その上で周囲が理解してくれなかったりしたらもっと上の人に相談すべきだった。新卒の時期にそこら辺を怠ったので、メモせず、周りに何回も同じことを聞き、それによって仕事を聞きやすい関係性が崩れていき、取り返しのつかない段階で失敗に気づくと言う最悪の新卒が爆誕した。当時の同僚、上司には本当に申し訳なかったなと思う。

というか今書きながら思ったけど、マニュアルの多くが口伝されていると思っていたけど、わたしが周りの人間と良好なコミュニティを築けなかったからその書類が回してもらえなかっただけで、本当は存在していたのかも。育休明けに復職したらもっと対人関係の構築を真摯に取り組もう。

 

と言うようにある程度自分に余裕が出てくると反省と今後の行動の修正案とかが浮かぶようになり、これをわたしは「努力」だと思っている節がある。だから堂々と「あなたは努力が足りない」と言う思想に走りがち。単純に精神と時間に余裕が出たからできるようになっただけで「現在の状況を改善するために自発的に行った努力」とは違うよね。

 

人それぞれに抱えている問題は違うし、その背景に何があるのかなんてわからない。説明しろという権利もない。だからその人が困っていて、どうしたいのか、そのために助けてほしいと言われた時にだけその方法について一緒に考えればいいかなと思った。正直、それ以外の場合に人の問題に首を突っ込んだり色んな「感想」を抱くのは、わたしの場合は大体良い結果にはならない、よい感情を抱いて終わることがない、というのをだいぶ学んだ一年でした。

 

そんな感じです。

 

ヒストリエ読んだよ

絶対面白いだろうけど最近長期長期休載に入ったらしいしもしかしたら完結を見れないまま終わってしまう可能性もあるわけでそんな苦しい思いをしたくはないから絶対に読まねえ〜と思っていたヒストリエを読み始めました。だって三巻まで無料だったから…

面白すぎる。まんまとはまりました。これはまだ三巻までしか読んでない人間の感想ですけど、一筋縄ではいかない人物たち、知恵と機転で状況を変える主人公、これから先何が起こるか予想のつかない物語、何よりも、感情の表現をする時の構図、表現、表情がうますぎる。絵ってこんなに人間の感情を伝えてくるんだ!?初めて漫画読んだ人間みたいな感想になっちゃった。なんか最近の漫画にある、パッと目を引く派手な構図とかキテレツでトリッキーなキャラクターとかも好きなんですけど、ヒストリエのような「ひたすらに漫画としての総合力、基礎値が高いから当然、面白い」みたいな漫画って、この作者の作品ってもう、趣味が合う合わない以前の問題として、きっとどれも面白いんだろうなという信頼を一方的に抱いてしまう。そういや寄生獣の人でした。そりゃ面白いに決まっているよ。

タレス画とかによく使われる「ば〜かじゃねえの!?」と「よくもだましたなあ!」が想像以上に悲惨な場面だったので、今後あの画像を見ても普通に悲しくなる。本当の母親ではなかったお母さんが、夫の拾ってきた蛮族の孤児に対して最初は嫌だなあの気持ちだったのに、それまで涙一つこぼさなかったその孤児が泣いているのを見て抱きしめるところ、泣いてしまった。多分、わたし自身が母親になっていなかったら特に響かなかったと思う。初めて会った時から一度も変わらず自分の息子として愛していた、というわけでもなく、実の息子である主人公の兄が怪我を負った時とかも、やっぱりいやだな、蛮族の血が入っているから…と思うようなことは度々あったと思うし、それをきちんと描きつつ、その上で奴隷として連れて行かれた主人公の怒りの叫びを聞いて涙するほどには愛していた、その、綺麗事だけではない、人間の「それでも、その上でなお」の部分が描かれる作品が好きだ。奴隷としての身分に変わって売られていく前、屋敷の人間たちからの対応が大きく変わってしまった後でも、中には優しくしてくれる人間がいたときに主人公が言う「書物に書いてあることなんて…世の中全体のほんの一部だ…」もとても好きな台詞。みんなの態度が変わって一番辛い時にではなく、それでも思いやりを持って接してくれる人がいることを描いたシーンでこの台詞が来るのって、作者の人間への信頼を感じる。「人間は本当はみんな優しいし根っこでは善人だよ」ということではなくて「どんな人間だって善も悪もするし、人一人が相手について知っていることはその相手の全体のほんの一部でしかないよね」と言う類のはなし。出てくる人間一人一人についてもっと知りたいよ〜!ってなっちゃう。人間って面白いよねと言われている気がする。人間って面白いよ。

 

と言うところまで書いてから数日後、いま6巻まで読み進めました。12巻までしか出てないという事実が辛い。あと88巻くらい出ていて欲しかった。全然先が見えないよ〜!って幸せな悩みを抱えたかった。岩明均先生の作品全部集めようかな。

 

今のところ主人公以外で一番好きなのはフィリッポス王です。ここら辺の歴史全然わからないからアンティゴノスさんとして出てきた時からまあそこそこの権力者のおじさんかな?くらいに思っていたので王様だって知ってめちゃびっくりした。肝の据わったおじさんだな〜程度の認識から一つ目巨人に比喩されるシーンでうおーーーーー怖い!かっこいい!と痺れてしまったのと、おそらく知的障害を持った息子へのおもちゃを依頼するシーン。権力者って能力のない息子に厳しいイメーがある。主人公の義父だって主人公よりも劣っている兄に少し冷たかったし。世襲制である以上、権力者がその手の冷酷さを持つのはある程度しょうがないと思ってた。それなのにフィリッポス王は、アリダイオスのことを「2〜3歳の知能」と冷静に評しながらその上で普通の父親のように息子とその母親に接していて、とても人間としての温かみを感じられて好きだなあ。まあそれは跡目としては問題がほとんどない息子がすでにいるからこその余裕かもしれないけど。まあまだ六巻までしか読んでないので実際のところはよくわからない。どのみち、この人が生存または健全な状態でいると物語が進まないのでそのうち死ぬんだろうな。今から悲しいです。

 

ヒストリエ読んでいると、母親の感情の意味が理解できるようになって、泣いたり喜んだりすることが増えた自分に気付いて面白いです。以前は「なんとなくこういう感情なんだろうな」と言う予想をして、情報としては理解できても、身に迫る感覚として理解するところまでには至らなかったから、実際やってみる、その立場になってみて初めて理解できたなあ。母親になってみて新しい視座を得られた気がする。そして視座を得たことについて認識できたのも初めてな気がする。わたしは他者への共感力(自分がやったことのないことでも自分に置き換えて感情を想像する能力)がおそらく平均よりも低いから、実際なってみて、やってみて初めて理解できることが多い。世の中の大半のことは解像度の低いまま見ていると思う。だからこそ「他者にどんな背景があり、どんな気持ちでいるのかを完全に理解できることはない」と理解した上で、相手の行動言動について慮ることが必要なんだろうな〜

あと、自分が手放した境遇のこと(独身時代や性別や年齢)で苦労したことについての理解はどんどん失われていっている。色んな経験をしたら色んな価値観が得られる、と言うのはなくはないけど、そこから遠ざかればすぐに解像度は低くなっていくんだろうな。わたしは元来、頭のキャパシティーが小さいからすぐに上書き保存されてしまう。だからこうやってブログや日記とかにその当時の気持ちを残すことはわたしにとってはとても大切だ。

 

そんな感じです。