前回のブログ書いてから2ヶ月経っていた。書きたいこと覚えておきたいこと全部書き残したくなって完璧を求めてしまう気持ちがあり、まとまって時間を取れたら…と先延ばしにしてきた。もういい加減取りこぼしが多すぎるので諦めがついた。復職や保育園に向けた動きが活発になったり、FP2級の試験が近づいてきたりしてそこそこ忙しくなったりしたけど、忙しさだけのせいではなく、人生の中心軸が子供に寄ってきて、自分自身から離れている気がする。日記も週に1度まとめて一行程度書くくらいだ。今後ますます重力は強まり、子供によっていくのは避けられないだろう。子供が初めての社会(保育園)に出て、その比重はきっと強まっていく。だからこそ、現時点から子供軸に寄りすぎないように(もちろん離れすぎるのも違うけど)自分の軸の位置を把握して、重力に少し逆らいつつ生活していきたい。そのまま全部が子供軸になってしまうと、何かあったときに子供のせいにしてしまったり、立ち直れなくなったりしそうだから。これ定期的に言っている気がするな〜自分の記事読み返すの恥ずかしいからしないけど、サビの部分なんだろう。
そんで、じゃあ自分の軸ってなんだ?と思うとやはり「物語」なんだろうな。小説でも映画でもゲームでも漫画でも、物語に触れるのが好きだ。続きはどうなるんだろう?とドキドキしながら暮らすのが好き。最近初めてデルフィニア戦記を買いました。こういうファンタジー小説ってなかなか読まないので新鮮。主人公二人が心身ともに屈強で、魂に傷を抱えながらも相手にケアを求めたり傷を舐め合ったりするでもなく自立して伴走し、相手を個人として尊重しあっている関係がいい。かつてアントマンを見ていたときに自覚したんだけど、メンタルが安定していて、依存ではなく並走できる相棒で、自分の選択に責任を持てる主人公が好きだ。新装版が今年から毎月発売されているんだけど「明日書店に続きを買いに行くのが楽しみだ」という気持ちを得たくて1冊ずつ買っている。勉強とかの合間にゆっくり読み進めているのでまだ発売スピードに追いついていない。楽しみなものがあるって嬉しいな。
あと、今更だけど「ぼくはイエローでホワイトでときどきブルー」も読んだ。「頭が悪いってことと、無知ってことは違うから。知る時がくれば、その人は無知ではなくなる」「多様性はうんざりするほど大変だし、面倒臭いけど、無知を減らすからいいことなんだと思う」とか、新鮮な考え方だった。例えば、休んでいるうちに新しいシステムが導入されていて、そのシステムに対応できていない人がいる。その人は頭が悪いのではなく、マニュアルを知らないだけ。マニュアルを読み込んでシステムを使えるようになればいい。わからないなら誰かに聞けばいい。逆の立場だったら、教えてあげればいい。その過程を踏む前に相手の能力が劣っていると怒ったり、馬鹿にしたりするのはおかしい。そういうことだとわたしは受け止めた。この考え方を内面化できたら、もっと話しやすい人間になれると思う。頑張りたい。もっとも、相手が素直に受け入れてくれるか、技術として理解することができるのか、自分はわかりやすく教える技術ができるのか、そもそも自分が介入することにより相手の積極的な学習機会を奪うのではないか、とか色々あるけど、走りながら微調整していこうと思います。年々、インターネットが対立構造を補強してきてきつい。あえて積極的な対立を望む交戦的な人、小さな個人で戦う限界を感じて主語を肥大化して共通の敵を設定した方が効率的だと考えて意図的にそうしている人、認知コストの削減のために善悪二元論というエコシステムを導入した疲弊しきった人、その区別をつけることができない。だから安易にラベリングしないタフさを持ちたい。「あほなのか?」とか簡単に結論付けず、相手が何に困っていて何を恐れているのか考えたい。対話の回線はいつもオープンでありたい。そのために自分の支えとなるものは人間やものに限らず、趣味や場所など様々なところに持っておきたいな。
アニメだとEテレでやっているブルーイというオーストラリアの教育アニメが好き。擬人化された犬の家族の話なんだけど、ホームコメディとしても楽しい上、嬉しい時、不安な時の尻尾の表現がたまりません。犬すぎる。感謝。お父さんのバンディットが子供たちの提示する無茶苦茶なごっこ遊びにも全力で取り組んで一緒に楽しんでいるのが好きだなあ。わたしもこういう全力大人を目指したい。そしてここまで子供を含む他者への寄り添いや思いやりを持ったり、おおらかに生きることはわたしには不可能だということも併せて覚えておきたい。(絶対に辿り着けないことをわかっておかないとストレスになるから。)家族の住んでいる家も素敵で、寝室のベランダから紫色の花木が見えて、そのはながひらひら散っている描写がたまに背景に写っていて、それがたまらなく美しい。キャラクター造形も可愛くてトイザらスでフィギュアを見るたびに買っちゃいたくなる。所有欲と物欲の混線が深刻。先日、クレーンゲームのプライズのブルーイがラス1で残っていたので衝動的にやってしまった。やってしまったものは仕方がない。しばらくはゲーセンに近づかないようにしよう。
全然関係ないけど夫と少子高齢化の話をして、最近読んだ「21世紀家族へ」の本の受け売りをすぐに演説してしまった。まだ内容を自分の中で咀嚼しきれてないのにすぐ知ったかぶりをしてしまう。夫はやや保守寄り、わたしはややリベラル寄りで中道を目指している人間。夫は教育が、わたしは制度が足りないと感じている。夫の言う教育とは「現代は個人主義が進み、家族・地域コミュニティが解体されてしまった。共助が足りない。今一度、近代的家族観の復活や倫理の教育が必要」と言われたのでわたしは「近代的家族観は戦後短期間の時限的なもので、女が家庭に縛られるからこそ成立したものであり、共働き前提の現代社会では合わない。育児、介護ケア責任を女が背負う近代思想から脱却できないまま、社会的には『現代的に』共働きを求められるという歪みが女にのし掛かり、子供を持つと言う選択肢の負担とリスクだけが跳ね上がっている。これを制度で解決する必要がある」と返した。すると「自分のことしか考えてないように聞こえる(個人主義者め)」と言われて、な、なんだとこの保守野郎!!!!と腹が立った。なのでGeminiに私たちの口論におけるそれぞれのバイアスを指摘するように伝えたら、「あなたは進歩史観的で、人間が合理的、経済的理由で動くと評価しすぎだし、数値化できない文化や価値観を軽視している。あなたの夫は共同体主義者で教育や精神性の変革を万能視しすぎだし、実態の伴わない倫理の押し付けで、今ここにある破滅への危機感が欠如している。保守VSリベラル、または構造論VS制度論という古典的なイデオロギーの衝突であり、二人とも相手のイデオロギーに反発するあまり、相手の思想のもっとも極端でネガティブな側面だけを抽出しあってラベルを貼り合っているため、議論が並行線を辿り、感情的な怒りに発展している。共通の大きな善意(アプローチは違えど、次世代を良くしたいという問題意識)は同じという確認をした上で議論すべき」みたいなことを言われて気持ちよかった。フィードバックをもらうことに快感を感じる。これは「わたしは自分の至らない点を認められる優れた人間です」という架空の敵に対する優越感のアピールかもしれないけど、根本的にマゾヒストなのでただ悦んでいるだけかもしれない。
あーまとまらないまとまらない!でもこういうふうにだらだら文章書くの好きだ!

添付の写真はこどもが気に入っているコダック。どこにいっても一緒に楽しんでいて、自分を支えてくれるものが二歳にして存在することが嬉しい。






